子どもの邪魔をしないということ

お客様とかおるさんとお話していて。

「子どもたちの邪魔をしないって本当に大切ね。」

「大人は邪魔をしないっていうどころか、もう常に邪魔をしているのかもしれないね。」

「子どもたちは、いろんなあたりまえを既に持っているようだわ。」

ヘンテコなあそび展で、日々こどもたちが、遊ぶすがたを近くで見て改めて感じたこと。



ふと、ローリス・マラグッツィさんの詩を思い出した。

レッジョエミリアのことについて色々と勉強をしたけれど、、
廃材を使うことがレッジョでもなく、
プロジェクトをすることがレッジョでもなく、
アトリエスタがいることがレッジョでもなく、
それらはあくまで手段なのであって。
(少し前の私はその手段を必死で身につけようと勉強をしていたのですが。。)

一番はこの哲学が大切なんだなと、実感をもってストンと自分に落とし込めたように思います。

子どもは遊びながら、物事と自分の関係性を理解して、意味をみつけていく。

そのエネルギーを子どもたちはもっている。
だから、大人はそれを遮らないように。

そこに共存していたいんだなぁ。

大切なのは、どんな教育メソッドを使うかといった形式ではなくて。

もっと根っこにあるところ。

森のようちえんでその根っこを大切にする。

(ひさも)

子どもたちの100の言葉(レッジョ・エミリアの保育実践について)初瀬基樹でも、百はある。 子どもには  百とおりある。 子どもには 百のことば 百の手 百の考え 百の考え方 遊び方や話し方 百いつでも百の 聞き方 驚き方、愛し方 歌ったり、理解するのに 百の喜び 発見するのに 百の世界 発明するのに 百の世界 夢見るのに 百の世界がある。 子どもには 百のことばがある (それからもっともっともっと) けれど九十九は奪われる。 学校や文化が 頭とからだをバラバラにする。 そして子どもにいう 手を使わずに考えなさい 頭を使わずにやりなさい 話さずに聞きなさい ふざけずに理解しなさい 愛したり驚いたりは 復活祭とクリスマスだけ。 そして子どもにいう 目の前にある世界を発見しなさい  そして百のうち 九十九を奪ってしまう。 そして子どもにいう 遊びと仕事 現実と空想 科学と想像 空と大地 道理と夢は 一緒にはならないものだと。 つまり 百なんかないという。 子どもはいう でも、百はある。 ローリス・マラグッツィ (田辺敬子 訳)  これは、現在、世界で最も注目され、評価の高いレッジョ・エミリア保育の創設者の一人であるローリス・マラグッツィの詩です。  レッジョ・エミリアとはイタリア北部にある小さな町(市)の名前です。このレッジョ・エミリアでは、第2次世界大戦直後、それまでの変革と圧制から解き放され、新しいより公正な世界の創造を求めて、男も女も力を合わせて、幼い子ども達のために、自らの手で学校を建てようとしました。そして、労働者、農民、当時のイタリア女性連合が力を合わせ、幼児学校が創られたのです。「すぐれた人材を育てるには、まず乳幼児から」いう理念のもとに、親ばかりでなく市民総出で運営し、幼児の創造力や、表現力を徹底的に伸ばすことを第一のモットーとしてきたのです。    ある講演会で、このレッジョ・エミリアの保育についての話を聞き、とても興味を持った私は、今、少しづつですが、資料を探したりして勉強を始めようと思っています。まだまだ理解不足で、具体的なことについては、ほとんどわからない状況ですが、少なくとも、子どもが主体である保育であること、子どもとの対話を大切にし、子どもから学ぶという姿勢を持ち、子どもの限りない創造性や表現力を引き出していこうという姿勢、また、様

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こうべ森のようちえん そとはうち

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