子どもの邪魔をしないということ
お客様とかおるさんとお話していて。
「子どもたちの邪魔をしないって本当に大切ね。」
「大人は邪魔をしないっていうどころか、もう常に邪魔をしているのかもしれないね。」
「子どもたちは、いろんなあたりまえを既に持っているようだわ。」
ヘンテコなあそび展で、日々こどもたちが、遊ぶすがたを近くで見て改めて感じたこと。
ふと、ローリス・マラグッツィさんの詩を思い出した。
レッジョエミリアのことについて色々と勉強をしたけれど、、
廃材を使うことがレッジョでもなく、
プロジェクトをすることがレッジョでもなく、
アトリエスタがいることがレッジョでもなく、
それらはあくまで手段なのであって。
(少し前の私はその手段を必死で身につけようと勉強をしていたのですが。。)
一番はこの哲学が大切なんだなと、実感をもってストンと自分に落とし込めたように思います。
子どもは遊びながら、物事と自分の関係性を理解して、意味をみつけていく。
そのエネルギーを子どもたちはもっている。
だから、大人はそれを遮らないように。
そこに共存していたいんだなぁ。
大切なのは、どんな教育メソッドを使うかといった形式ではなくて。
もっと根っこにあるところ。
森のようちえんでその根っこを大切にする。
(ひさも)
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